ケープワインの歴史

ケープワイン(南アフリカワイン)は、南アフリカの西ケープ州(Western Cape)で生産されています。

 

南アフリカで、最初にワインが造られたのは「1659年」のことで、カリフォルニアが1769年、オーストラリアは1788年であることを考えると、100年以上も早いといえます。およそ350年前に遡ります。言い換えれば、すでに110年~130年前にワインが作られていました。また、南アフリカの一大ワイン産地であるステレンボッシュ周辺の地層も大陸の誕生がアフリカを起源と考えれば、世界最古の大地でぶどうが栽培されているといえるでしょう。

 

オランダ人やドイツ人の入植以来、ワイン造りが脈々と続けられており、それらの多くは、欧州への輸出と国内消費にあてられてきました。ケープワインのテクスチュアが欧州的と感じられるのは、自然にうなずけると思います。

 

カリフォルニア、オーストラリア、そしてチリのワインは、ニューワールド(新世界、新大陸)と呼ばれて久しいです。いまや、ほんとうに多くのファンがこれら地域のワインを楽しんでいます。知名度の高いワインといったら、枚挙にいとまがないといえます。一方、ケープワインは、新しく耳にする産地という意味では、ニューワールドワインではあるが、歴史的に見て、まず、「ニュー:NEW」ではないし、現地のワイナリーで直接どう思うか質問すると、「ニューワールド」とは言ってほしくないという関係者もいます。

  

アパルトヘイト撤廃後の1992年以降、本格的に世界進出を始めたワイン産地なので、「アフリカでワインが作られているの?」と疑問を抱かれることがあるでしょう。もし、「未常識」というカテゴリーが存在するなら、まさに、ケープワイン(南アフリカワイン)は、これから常識になる、「未常識」に属するシンデレラではないでしょうか?

 

 

産業と教育

1994年の民主主義の到来によって解放された南アフリカのワイン産業は力強く発展し、2021年には輸出量が3億8800万リットルに達しました。現在、2,613以上の栽培農家が約90,512ヘクタールの土地にブドウの木を植えています。 約269,096人が直接・間接的にワイン産業に従事しています。2020年の年間収穫量は1342 112トン(10億4200万リットル)で、このうち86%がワインに使用さ れました。2021年の年間収穫量は1 459 613トン(1億3330万リットル)で、このうち80.4%がワインに使用さ れました。

南アフリカのワイン産業は、様々な組織によって支えられています。エルセンブルグ農業大学には醸造技術のコースがあり、アーク=ニートヴォアビは様々な種類の実験農場を持つ研究施設で す。ステレンボッシュ大学のブドウ栽培・ワイン醸造学科(DVO)では、ブドウ栽培、ワイン醸造学、ワイン・バイオテクノロジーの大学院進学課程と修士課程を提供しています。ワインバイオテクノロジー研究所(IWBT)に代わって新たに設立された南アフリカブドウ・ワイン研究所(SAGWRI)は、大学院の研究・研修部門として統合されたものです。詳しくはこちらをご覧ください。

輸出用のワインはすべて、輸出許可を取得しなければなりません。海外向けワインの各バッチのサンプルは、ステレンボッシュのニートヴォアビにあるワイン&スピリッツ委員会に送られ、詳細なテイスティングテストと研究所での化学分析を受けてから、承認が与えられます。ワイン&スピリット・ボードは、ラベルに記載されている原産地、ヴィンテージ、ブドウ品種が正しいことを証明する公式認定シールを各ボトルに交付しています。南アフリカは、環境の持続可能性と規制された生産の完全性において世界をリードしています。2010年ヴィンテージから、南アフリカワインのために新しいシールが導入され、ブドウの木からボトルまでワインを追跡することができるようになりました。このシールは世界初の試みであり、ワインの誠実さと持続可能性を証明するものです。サステイナブルワイン南アフリカのウェブサイトはこちらからご覧いただけます。

国際的なワイン生産量については、イタリアが19.3%でトップ、フランスが14.5%で2位、スペインが13.6%で3位、南アフリカが4.1%で8位となっています(2021年の数値)。

 

(出典:WOSAの資料より)

草創期

1652年、オランダ東インド会社がケープに補給拠点を設置した目的はただ一つ、インドや周辺地域への航海に向かう商船隊に新鮮な食料を補給することでした。しかし、それ以上に大きな発展があった。交易拠点の設立は、ワイン産業の繁栄につながり、後に一つの国の誕生につなげたので す。

ケープの初代総督であるヤン・ファン・リーベックは、1655年にブドウ畑を作り、1659年2月2日にケープのブドウから最初のワインが造られました。これをきっかけに、現在ウィンバーグのビショップコートとして知られるロッシュホイベルに、より広範囲にわたりブドウの木を植樹するようになりました。ヴァン・リーベックは農民にブドウ畑を作るよう強く勧めたが、当初は農民が最も消極的な姿勢を示していたという。

農民がブドウ栽培に無知だったことが主な原因で、当初は多くの失敗がありました。1679年にヴァン・リーベックの後を継いだサイモン・ファン・デル・ステルは、ブドウ栽培とワイン醸造に熱心であっただけでなく、非常に知識が豊富であったため、状況は一挙に良くなりました。彼は自分の所有する畑、コンスタンシアに葡萄を植え、当初から良いワインを造っていました。その後、コンスタンティアはクロエテ家に買収され、彼らのワインは世界的に有名になりました。今日でも、世界の銘酒が語られるとき、コンスタンシアのワインが語られます。

オランダにはワインの伝統がほとんどなく、1680年から1690年にかけてフランスのユグノーがケープに入植して初めて、ワイン産業が盛んになりました。宗教難民であったユグノー教徒は、ほとんど資金を持っていなかったため、必要最低限のものでやりくりしなければなりませんでした。また、自分たちの確立したワイン醸造技術を新しい環境に適応させなければなりませんでした。しかし、時が経つにつれ、彼らの文化や技術は、このワイン産業とケープの生活に永続的な印象を残すこととなったのです。

 

(出典:WOSAの資料より)

 

20世紀以前のケープワイン

18世紀は、ワイン産業にとって困難な時代で あったと言えよう。ヨーロッパと極東の輸出市場からケープワインに対する抵抗があり、いくつかのケープワインの品質には大いに不満を感じていました。オーク樽の不足は深刻で、ワインの適切な熟成を困難にしていたのです。ワインの輸出に使われる樽の中には、以前は肉の塩漬けに使われていたものもありました。一方、ワイン業界は各地域に最適な品種を特定し、ワイン醸造技術を地域の状況に適合させることに苦心していました。

19世紀前半、ワイン産業は繁栄を迎えました。イギリスがケープを統治したことに加え、イギリスとフランスの戦争により、ケープワインの大規模な新市場が生まれたのことが挙げられます。ケープのブドウ樹は45年の間に1300万本から5500万本に増え、ワインの生産量は0.5億リットルから4.5億リットルに増加しました。

しかし、1861年に災難が訪れた。イギリスがフランスとの対立を解消し、南アフリカのワイン輸出が途絶えたのご存知の通りでしよう。1886年 には、ケープでフィロキセラという病気が発見され、その後ブドウ畑は壊滅的な打撃を受けた。

1899年、アングロ・ボーア戦争が始まったのがきっかけだった。ワイン産業は大混乱に陥ることとなりました。新しいブドウの栽培が盛んに行われたため、生産量が過剰になり、25年間も苦難の時代が続きました。

この状況を改善するために立ち上がったのが、チャールズ・コーラーである。彼の努力により、1918年にKo-operatieve Wijnbouwers Vereniging van Zuid-Afrika Beperkt(KWV)が設立さ れました。KWVは農民の傘として、農業を安定させ、成長と繁栄への道を切り開いたので す。今日のワイン産業の隆盛の基礎が築かれたというわけです。

 

(出典:WOSAの資料より)